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価格 : 3,747 円
高田渡さんは、山之口貘をはじめとした昭和の詩人たちや演歌師の作品を多く歌っていました。もう30年以上前、中学や高校生の時、僕は高田さんから「文学」を教わりました。 昨年だったと思いますが、NHKの教育TVで、高田さんと高石ともやさんを特集した番組をやっていました。「反戦フォーク」という時代的なフレームの中で知られ、プロとして出発したふたりの歌手の半生をたどる番組でした。 高田さんは職工。高石さんはキリスト教会が出発点かな。「反戦フォーク」というカテゴリーを与えられた訳ですが、本人たちは「それは違うのではないか?」という疑問を抱えていきます。 ふたりは新宿フォークゲリラに、職業として歌をうたうことを批判されるのです。高田さんは悩みながらも、彼らお坊ちゃんたちの生活感覚のなさに疑問をていし、自分の立場を再構築していきます。 それと、彼らが歌を政治の手段にしようとしたことに、とても怒っていたと感じました。 高田さんは番組で、僕はいまでも六畳一間と台所の貸家に女房とふたりで住んでいるのだけど、洗濯機をまわすと電灯のブレーカーが落ちちゃうのだ、とか話していました。なんでそういう生活をしているかというと、僕の歌は、そういうひとたちの歌をうたっているわけだから、と。僕の歌は人生で、その責任をとらなければいけない、という意味だったと思います。 番組で、高田さんは沖縄のライブハウスで歌っていました。焼酎を飲みながら(ウィスキーだったかな?)。歌いながら寝ちゃうのです。あきらかにアルコール中毒の症状がでていた。でもそれは、多くのひとに生きる勇気を与える、「平和で幸せなアル中」のようでした。観客のみんなは起きるまで待っている。北海道での公演中に倒れられたと聞きました。まさに高田渡的。中学生の時見たライブはもう見られませんが、心の中に高田さんを復活させようと、ボックスを買いました。
渡さんの歌を初めて聴いたのはいつだったろう。高校生だったろうか。漠さんの「生活の柄」の世界は今風にいうなら、「ワタル的」とでもいうのだろうか。「生活の柄」は渡さんと漠さんと二人で夜空の下で酒を酌み交わしながら、出来たような歌だ。もちろんそれは違う。しかし彼はフォークソングを生き抜いた人だ。それは漠さんが漠さんとして最後まで生き抜いている姿にとても似ている気がする。彼にとってそれは不幸なことだったろうか、という問いは愚問だろう。否、そんなことを問うべきではない。彼の余りにも突然の訃報を知ったとき、「さびしいと いま」の歌詞を思い出した。晩年の彼を知る友人からとても穏やかな死に顔だった、と聞いた。渡さんの歌も漠さんの詩もぼくの人生のかけがえのないものの一部だ。ぼくはいまさびしいと言いたい。
56才でお亡くなりになったのは、あまりに早すぎます。残念としか言いようがありません。
自分が高田渡のうたを発見したのはそんなに昔のことではなかったが、以来、今に至るまで何百回聞いて飽きることがない。このボックスセットに収められているベルウッド時代の正規音源は、特に何度も何度も何度も聞き続けている。ここに収録されているうたたちに代わるものが、まるで見当たらないからだ。 「ごあいさつ」、「系図」、「石」、どのアルバムにも共通しているのは、高田渡自身の生理・習性・生き方から他の人々の実際の生き方に思いを馳せて、自分自身の心にそれを捉え返して、うたになった感情が詰まっている、ということだ。とはいっても、こうしてことばに何とか置き換えようとしても捉えきれない部分が多分に残ってしまうのが高田渡のうたの特徴になっている。 それでも捉えてみようとすると、例えば彼は、うたの中では他人に対する皮肉や悪口、当てこすりをほとんどしない。また、自分は凄いんだ、自分はえらいんだという、うたを一切うたわない。それに、上っ面の優しさや幸せもうたわないし、男女の恋愛をくどくど描写もしない。つまり総じて、今のJ−POPが持っている特徴がほとんどない。 では、どんなことをうたっているのかというと、世間の中で脇に追いやられてしまう人々が感じるうらぶれた気持ち、彼らこそが多く持っている慎ましさの美徳や他人への優しい心配り、したたかな強さと裏返しの脆さ、そんな日々の生活で少なからぬ人々に浮かぶ気持ちがうたになっている。歌詞は、高田渡自身が書いたものの他に金子光晴や山之口獏、ラングストン・ヒューズや永山則夫の詩を使用しているが、高田渡がギターを弾いてうたうときには、高田渡の名においてそれらのことばは一つの状況になり、気持ちになっていく。そんな彼のうたは、全てのJ−POPシンガーはもちろん、三上寛や加川良、シバ、友部正人など、同世代の偉大なフォークシンガーたちでさえ代わることの出来ない唯一のメディアだった。 高田渡が媒体として聞き手に届けてくれた感情は、今や日本語として聞き手に届く機会はほとんどない。自動車を作るようにプロセス化された楽曲生産システムは聞き手自身が元々保持している内面の感情の安定や価値づけを絶えず壊して奪っていき、特定の心情を植え付けて内面をより貧困化させ、商品を購買させつづける仕組みを内包している。高田渡のうたは、聞き手にそんなことをしない。代わりに、ひとが本来抱く心の動きを思い出させてくれる。他人に対する感受性をより豊かにしてくれる。これからも自分は高田渡の歌を何百回、何千回と聞きつづけるだろう。 今流通しているうたに違和感を感じている人にお薦めです。
日本フォークの伝道者がまたお1人お亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。