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こんな映画は、後にも先にも、誰も創造することは決してない |
映画は総合芸術と言われます。映像、物語、音楽、演技、演出、構成・・
観客がまさに、映画の中に入っていって疑似体験する、というやつですね。
そういった意味では、本作は、近未来の宇宙旅行を観客に疑似体験させて
くれる、相当にリアリティのある映像、ということでは、話題になりました。
ところが、不世出の天才キューブリックは、楽しい宇宙旅行を体感させて
くれるだけでは済みませんでした。宇宙、人類、次元、空間、時間を
超えて、宇宙空間における人類という種の越し方行く末を哲学的、かつ
テクノロジカル、おまけに、ドラッグジャンキー風サイケデリックな
絵作りで、想像力の限界に挑むという、もはや映画人を超えた試みを
行ったといえます。その原動力は、たぶん、キューブリックの才能
だけではなく、壮大な物語にした裏方は、アーサー・C・クラークの
発想、ヒントであったのかな、と思っています。
さて、本作です。製作、公開当時は、SF映画といえば、宇宙人が地球
を襲ってきたり、ブリキのロボットが氾濫を起こしたり、はたまた、SF
とは言わないかもしれないけれども、半漁人や巨大な昆虫が人間を襲った
りする映画、と思われていた時代。
そういう目で、この映画を見ると、まさに、時代の先を行き過ぎて、
理解を得ることは難しかったのかもしれません。
CGやVFXがなかった当時、秘密裏に湯水のごとく制作費を
投入し、視覚効果を生み出すために、実験に次ぐ実験を行い、
英才ダグラス・トランブルをして、多くの視覚効果を生み出した超大作。
類人猿の原始時代から一気に宇宙に飛んで、その間の地球上の進化は
省略。こんな構成は、誰が発想しましょうか。驚嘆の一言。
さらに、それは、宇宙飛行士デイヴィッド・ボウマンの、異空間への
一人旅で、さらに、ブーストされます。もはや、映画ではなく、これは
哲学を伴った、「思想」を表す、「抽象映像芸術」ですね。どんな解釈
が成立するのか、は観客が感じること。解答は、描かれていません。
私は、この映画で、「美しく青きドナウ」「ツッアラトストラはかく語りき」
そして、リゲッティ「レクイエム」という音楽を知り、映像とともに
記憶に深く深く焼き付けられました。
なにはともあれ、一見しておく価値がある映画史に残る異色の作品。 |
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