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1968年の京都を再現。役者も粒ぞろい。言うこと無し。 |
ふと気が付くともう最後のシーンだった。
近畿放送と思われる(この頃はこう呼ばれていた)のラジオスタジオで、主人公が
「イムジン河」を歌っている。
発売中止になったこの歌を「絶対放送させない」と会社側プロデューサーは主張するが、
それに対するディレクター役の大友康平の演技がなかなか泣かせる。
彼は言う、「この世界にはなあ、歌っちゃいけない歌なんかねえんだよ!」と。
この映画は1968年の京都が舞台だが、いわゆる観光的な撮り方は一切していない。
しかし、よく見ているとどこだか分かるという感じで、京大西部講堂や嵐山、新京極、出町
などが次々に登場して、知っている人間にとっては、ここもか、あそこもか、という感じで
楽しめる。
当時の京都の町の雰囲気を、小道具も含めてここまで再現しているのには感心させられた。
松山と吉田がギターを買いに行くのは、今もある荒神口の「Y楽器店」と思われるが、
ここで、オダギリ・ジョー扮する坂崎との「イムジン河」を巡るやりとりが楽しい。
オダギリジョーが「マーチンのギター」と言うが、あのイントネーションは関西人そのもの。
ちなみに、この楽器店の向かい側には、あの「二十歳の原点」に出てくるジャズ喫茶
「しあんくれーる」があった。坂崎酒店のシーンではフォークルのLP「ハレンチ」
も登場する。
役者はすべてが平均以上に良く、特に朝鮮高校の3人組は出色の出来だった。
アンソンもバンホーもチェドキも、1968年の昔からタイムスリップしてきたみたいだ。
妹のリ・キョンジャ役の沢尻エリカはハッとするほど可憐で、看護婦役の真木よう子には
妙な貫禄があり、ATG映画からそっと抜け出してきたような壊かしさを感じた。
監督の演出をまったく感じさせない役者達の自然な熱演が見事であり、そして凄い。
葬儀のシーンはこの映画の白眉である。
「こういう事を忘れたらアカン」という気にさせられる名シーンが静かに展開する。
とにもかくにも熱気に溢れた楽しい映画だった。
60年から70年代にかけて京都で過した人なら、感涙ものの映画だ。 |
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