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「傲慢」と「相手への無理解」、そして意思疎通の難しさ |
本作の題名は創世記第11章のバベルの塔から取ったことは間違いないでしょう。
だから「言葉、心が通じない」ということが招く悲劇を描いた作品であるのは当然なこと。
でも、僕はこの作品における悲劇の根源には、「傲慢」があると思う。
それも、登場人物たちは気が付いていない、という意味でより絶望的な・・・。
この先は、思いっきりネタばれを含んでいるので、映画を見ていない方は読まないほうがいいです。
ブラピとケイト演ずる裕福な米国人夫妻は、子供のひとりの死がきっかけとなった夫婦間の危機の解決のためか、はるばるモロッコまでやってくる。
暖かい人間性を持ち、残る2人の子供たちを良く世話を見るものの、法的には不法就労者であるメキシコ女性のサンティアゴ一人に任せて。
そのサンティアゴは、息子の結婚式に出席したいあまり、代理の乳母が見つからないため、夫妻に無断で子供たちを連れて国境を渡る。
役所広司演じるハンティング好きだった綿谷ヤスジロウは、銃による妻の自殺から立ち直れず、さらに聴覚が不自由な一人娘チエコとの不仲に悩んでいるが、
都心の高級高層マンションの壁には、猟銃を持ったハンティング姿の自分の写真が何枚も飾ってある。チエコが死んだ母親の最初の発見者であるにも関わらず。
この大人たちが、自分達の都合を優先したあるいは相手の気持ちを良く理解しようとしない結果、
一人苦しみ迷走する子供(チエコ)を生み、米国人夫妻の子供達は砂漠で生死をさまようことになり、
銃の恐ろしさを知らないモロッコの子供たちに、偶発的とは言うものの悲劇を起こさせてしまう、といったことにつながる。
モロッコ人の父親もサンティアゴも、過ちに気付き、報いを受ける。
しかし、米国人夫妻は最後まで自分たちの「傲慢」に気付かず、逆に「被害者」と思っているように見える。
ヤスジロウがチエコを理解し始める兆しを見せるエンディングは、ほのかな希望。
こう書いている自分だって、知らずに同じ傲慢さを持っているはずと痛感させた本作、こんなに「重い」ものとはとても想像できなかった。 |
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