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この「冬の日」は、即、芭蕉の「冬の日」ではないが。 |
僕はアニメについては今まで余り関心はなかった。もちろんノルシュティンの作品や川本喜八郎の「不射之射」などはその内容が心から消えずに残っていたが。 それが、アニメの達者をまとめて、芭蕉の「冬の日」が表現されることに大変驚いた。各作家の表現の豊かな個性、これこそがアニメそのもの、独自性だと思う。そして、どの作家も他の作家の個性に引きずられずに大家をなしている。 しかし、この「冬の日」を見て、芭蕉「冬の日」を理解したと思ってはいけない。ここに落とし穴がある。各アニメ作家の芭蕉への理解もそれぞれに程度の差がある。「冬の日」に対する表現の一端と思っていた方がよい。大体において、ろくに芭蕉句集「冬の日」を全編読んで理解しないで製作した作家や視聴者もいる訳だ。芭蕉風といったイメージやインスピレーションだけが先走っている点も見受けられる。もっと、幸田露伴などの評釈などを読んで作って欲しかった。というのはそれらの評釈には個々の句の説明が十分に説明されているのだ。そうすればもっと人間芭蕉や当時の文芸のエッセンスがアニメの底に澱んで、アニメのもっと大胆な表現力の大きさが出たろうと思う。 それにしても、それぞれの絵はすばらしい。 せめて、芭蕉七部集はともかく、「冬の日」の残りの巻も作って見させて欲しい。 |
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