本・雑誌 限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学の口コミを検索

トップ本・雑誌社会学概論限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学
を 商品名

限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学

限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学

良い / 口コミ件数 : 9


価格 : 1,995 円





クチコミReview一覧
評価の高い順 評価の低い順 書き込み日の新しい順
口コミ件数:9 1 2 次ページ
1.  とても良い mac215さん 書き込み日: 2005年11月09日

両者の鋭い現実認識に改めて驚き!

なぜ宮台真司は社会学を思考するのか?その根本的なモチベーションについて語り明かすこの本。
『終わりなき日常を生きろ』から『サイファ覚醒せよ!』を経て現在にいたる、思想的?転向?の経過を、本人が「遺作のごとき趣きだ」(あとがき)と語るように一つ一つを丹念に解き明かす。
推理小説を読むがごとく、現代社会の諸事象を解き明かしていく両者の語り口に改めて驚かされつつ、引き込まれ、一気に読み進めることができる。下手な推理小説読むより、よっぽど面白い。
日常生活を送る中で感じる抜き差しがたい違和感。これって一体どういうことよ? そんな疑問を持つ人なら、多少経緯を知らなくても、一つ一つの言葉を分かりやすく説き起こしてくれているので、入りやすいかも。



2.  とても良い 沈思黙考さん 書き込み日: 2005年11月27日

没入も自在。離脱も自在。それでこそ自由。

山本七平著『「空気」の研究』をモチーフにした自由の獲得がテーマである。対象を絶対化(=対象の臨在感的把握=自己と対象の一体化)すると、「空気=対象」に支配されてしまう。対象と距離をとり相対化する(=「水を差す」)ことで「空気」の支配は消失し、自由を獲得することができる。宮台氏の論点は、オブセッションの有無を問うことなきアイロニー(=「水を差す」)の意味のなさである。対象と距離をとることに執着しても自由になれるはずがない。オブセッシブなアイロニーの痛々しさを噛みしめよ、と。対象との一体化を「あえて(=ノン・オブセッシブ)」選択するだけのゆとりを持つのだ、と。英米では幼児性の顕れとして軽蔑される全体性(=自己と対象の一体化)志向も、人間性の端的な事実だからである。とはいえ、「これが答えだ!」と思った(=全体性の本質である根源的未規定性を忘れた)瞬間、待っているのは頽落である。自由になるための戦略は教養・・・別様の虚構がありえたことへの気づきである。「恣意性は回避できないという認識・・・もっともラディカルな場所は両義性に見舞われている・・・ 全く同じポジションから、フランクフルター(人間主義的実践)と頭の悪いネオコン(テロル)が出てくる・・・ 育ち方次第で人を殺せるようにも殺せないようにもプログラムされ得る可塑性こそ、人間の証」である。 「〈世界〉と接触する僕は、現にある〈社会〉の存在を奇跡だと感じる・・・ それが必然的ではないのは百も承知だ。だから僕は〈世界〉と接触しつつ、徹底的に〈社会〉を汚れて生きる」 成熟社会では、「他者(〈社会〉)を通じてしか〈世界〉を想像できない」からである。



3.  とても良い hikikomori3さん 書き込み日: 2008年12月31日

この本自体、宮台思想の相対化を読者に促す

思想の相対化がこの本のテーマだろう。
全体性を十分に担保していると思えてしまう自己の思想が、実は常に(例えば論壇的な、例えば学界的な)一部の言説に過ぎないということを自覚すること、このことをめぐって二人が一貫して議論しているように読める。

あとがきでは宮台は、若い世代である北田を前にあえて世代的な振る舞いをして二人の差を際立たせ、言わば北田をプロデュースしてやった的なことを言うのだが、全体を通して読めば話半分くらいで聴いておくべきではないかという気がする。つまり、宮台の隠しようのない人柄がにじみ出ていてやはり面白い。三島由紀夫へのシンパシーなどはいかにもという感じだ。

それにくらべて北田は、宮台にくらべて穏健な、悪く言えば何の面白みもない主張をしているからか、幾分冷静な印象を受けてしまうが、現状を打開するにあたって宮台ほど明確な方策を打ち出せているわけではないようだ。

それとは別にロマン主義の起源にかかわる議論も面白く読めた。例えば、ロマン主義の理想は、始めから不可能な理想でなければならない、というような話。ロマン主義について多少知っている人にとっては常識なのだろうか。



4.  良い モワノンプリュさん 書き込み日: 2005年11月21日

宮台思想を理解するには有用(社会を理解するのに有用か否かは保留)

 対話者の一人・北田暁大の前書きによれば、彼を刺客として送り込み、宮台真司を不意打ちしてボコろうというのが版元社長の企みだったらしい。しかし、両者の対立点は浮き彫りになったものの、北田が低姿勢に終始して結局は宮台節を拝聴してしまう。「宮台真司を抜きにして、現代日本を語ることはできない」(p11)って…私も宮台先生の本には結構つきあってるけど、さすがにそれは言いすぎじゃないか。
 ただ、最近の宮台対談本は彼の知名度に寄りかかった散漫でユルい出来のものが多かったが、本書は(少なくとも北田側が)ゲラに大幅な加筆・修正を施したらしく、なかなか緊密でテーマの一貫性を感じさせる。その点では、読ませる内容となっている。
 北田側からの疑義の最大のポイントは、やはり宮台の「天皇」「亜細亜主義」へのコミットメント。で、宮台の応答は、初期ギリシア的な主意主義(=右翼)に回帰し、理性・知のオブセッションに抗うアイロニズムを貫くというもの。そこでパンピー向けに持ち出される標語が「参入離脱の自由」なのだが、何だかドンファンの教え(カスタネダ)を思い出してしまった。
 しかし北田も前書きで仄めかしているように、強迫的と言えば宮台ほど強迫的な人はいないんじゃないか。氏は戦略性を標榜し、「事後的に『もといた場所には「あえて」いたのだ』『もといた場所はオブセッシブだ』と語る」ことで相対化(アイロニー)の連鎖を形成するとおっしゃるが、私はバッハの「無限に上昇するカノン」を想起しました。
 で、私が関心を抱くのは、宮台氏の右翼の本義の先にまだヴァジラヤーナがあるのかどうか。pp431〜433辺りではブチ切れて、三島に仮託しながら「面白けりゃ、何でもいいんだよ」「要は、何もかもつまんねえんだよ」と表出しておられますが、「天皇も亜細亜主義も右翼も主意主義もシャレでした、本当は神の愛です」なんて、まさか言いっこなしですよ。



5.  良い yojisekimotoさん 書き込み日: 2006年05月31日

限界の思考の限界

再帰性などをキーワードに著者のこれまでの活動を振り返っていくのだが、そこでは教養主義的な振る舞いによる用語解説等と著者の自己言及性のナルシシズムが背反した性質を示している。
内在的(コミュニティ重視)と超越的(ネットワーク重視)、ネタ(自己諧謔的)とベタ(自己没入的)などのタームは魅力的だが、それらは必ずしも普遍的ではないし、意識的にも無意識的にも現状分析の域を出ない。これら相反する矛盾した要素が互いに交差する形で本書に体現されているのはそれ自身が更なる分析を必要とする証だろう。
社会学という学問が、みずからの歴史性を忘却しているが故に一世を風靡すると同時に限界にあるということも確認させられた一冊。



1 2 次ページ

文学・評論
思想・社会・ノンフィクション
人文・思想
社会・政治
ノンフィクション
歴史・地理
ビジネス・経済・キャリア
投資・金融・会社経営
科学・テクノロジー
医学・薬学
コンピュータ・インターネット
アート・建築・デザイン
実用・スポーツ・ホビー
資格・検定
暮らし・健康・子育て
旅行ガイド
語学・辞事典・年鑑
教育・学参・受験
こども
漫画・アニメ・BL
タレント写真集
ゲーム攻略本
エンターテイメント
新書・文庫
雑誌
楽譜・スコア・音楽書
古書
カレンダー
ポスター