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4. 普通 |
maddoggieさん |
書き込み日: 2005年09月28日 |
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死体関連本というよりは、ある1人の男の・・・ |
この仕事(自殺・殺人・事故などの凄惨な現場を清掃し、元通りに復旧する)のことは既に何度か聞いたことがあった。それはそうだろう。死が、生きているオレたちにとっての絶対的最終到達地点(自殺を除いて、いつ起こるかはわからないが、死なない者は誰もいない)であり、決して生と同時に体験できない唯一の秘境であり(生者が語る死の物語は絶対に自分の体験では有り得ない)、そのくせ嫌悪感や不謹慎感に覆われてポルノ以上に隠匿されながら、「本物の自分の死」以外の様々な形態で「娯楽」として楽しまれている以上、人の興味を引かずにはいないのだし、そんな好奇心と怖いもの見たさ以外のどんな理由でこの本を読むというだろう?まさか、日本で同じ商売を興すためではないだろうし(銃を使った事件が少ないのでこれほどの需用はないはずだ、いや、誰かがこの仕事をしているはずなのだからあるだろうか、誰かの手でここに書かれていることがヒッソリと行われているのは絶対確実なのだが)、ここで働きたいとも思わないだろうし(虫や臭いのことを思うとオレにはとてもできそうもない・・・という以前に片づけ能力が一切ないから無理か)、そもそもこの仕事が天職であると感じる人間がいると想像することからして不可能なように思えてしまう。 不思議なことに、いちばん強く印象づけられたのは、犯罪現場の凄惨な様子(読んでいる分には大したことがなくても、同行すればノックアウトを喰らいそうだ)ではなく、ニール(まだ若いこの会社の社長)という1人の起業家の前向きで熱心な仕事ぶりだった。だいたい、この仕事を思いついたきっかけがあの映画「パルプ・フィクション」だというのも彼のキャラクターに合っていて笑えるし、驚くほどの割り切り方で死にまつわる事柄と自分の間に線を引き(もちろん、何かを感じずにいられるわけではないし、時に彼の口からふと零れたそれぞれの死を述懐する言葉も非常に正直で印象深い)、プロに徹底した仕事ぶりはあまりに見事で、読んでいて気持ちいいほどだ。儲けたいという成り金主義が動機であるというバカ正直さも、何だか納得できてしまう。単なる正義感やきれい好きというだけでできる仕事ではないのだし(そんなのは偽善ではないか?)、数多の苦労を乗り越え上手いことニッチ(市場の隙間)に潜り込んでいるところなど、何ともしたたかではないか。 ひとりひとりの死を思えば、その背後には悲劇であれ何であれ彼らの人生をそんな場所に追い込んだ重い軌跡があったということもわかる。少しでも想像力を広げるなら、今この瞬間に起こっている死の物語はあまりに膨大で、世界中にきれい事だけでは押し潰されそうな厳しい現実があり、かといって、そのすべてを身も蓋もなく切り捨てるのはあまりに非人間的というものだ。ニールよりさらに若い作者が戸惑いながら正直に書き記している文章に好感が持てるのもそんな理由によるのだろう。滑稽でいて悲しく、様々に複雑な感情を同時に喚起しながら、人生なんて大きなものを一度に見渡せるわけではないにしても、その欠片の何かを感じさせてくれるもの。そんな一端を、この本はオレたちに見せてくれる。 しかし、残念な点を上げるなら、(ある程度は仕方ないことなのかもしれないが)日本版は原書とはかなり印象が違う出来になっているのだ。装丁やタイトル、章題の変更(ここまでは仕方ない気もする)、写真やレシートのコピーの削除(原書のジャンルは「犯罪実話/紀行文」という分類、旅日記のように挿入されている写真は「凄惨」というより「微笑ましい」ので残しておいてほしかった、もちろん、これまた仕方ない変更かもしれないが、要するに「紀行文」的部分はいらないという判断なのだろう)などの変更のせいで、原書の手作り感のある作りはほとんど消えてしまっている。日本版は見た感じからしても、いかにもよくある「死体本」の一種に過ぎない売り方で、それはまあいいとしても、削られている部分が章単位や文単位でもかなりあり(原書と比べなければ気づかない程度にあちこち文単位でも刈り込まれており、それだけにタチが悪いとさえ思える、勝手に推敲する権利も翻訳者側にはあるということか)、訳文がやや不正確なところも気になった。後書きなどで、変更せざるを得なかった理由などが明記されていないのも、原書に対して不誠実なように思えたが、翻訳の仕事とはそういうものなのだろうか。というわけで、星の数は原書への評価よりも1つ減らした。 |
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