とても良い / 口コミ件数 : 7件
価格 : 1,449 円
何の為に現れているか判らない「幽霊」、 名前が付いていない「化け物」、 京極先生の他の物語に出てくる「座りの悪い」感じ、 名前の無い妖怪は説明できない恐怖、 まだ半分読んだだけですが、あとを引く粘つく怖さは、怖いこととは何かを考えさせられます。 悪意を向ける者も怖いのですが、何の為にこちらを見ているのか判らない者も怖いです。 一つの事は当たり前の事でも、総てが揃うと異様な姿が現れる、 このこの本はそんな物語が集めてあるようです、 異様な物語を解体して日常を取り戻す陰陽師、異様なお話を組み上げて歪みを収める御行坊主、 京極先生の長編はそのようなお話が多いと思いますが、 この本にあるお話しはその長いお話の中の1ページの恐怖のような気がします。 つまり京極先生の長いお話の一場面に入るような気がします。 まだ半分しか呼んでませんが。
内田百間(門構えに月)の幻想小説のような怪談集。全8編で、うち後半の3編が書き下ろし。 他誌掲載作の方がレベルは高い。とくに最初の2編は、人生に絶望した中年インテリの心象風景として優れた作品と思う。一方、書き下ろしは明らかにレベルが下がり、とりわけ最後の一編では、この作者の悪い癖である、まとまらない思弁の垂れ流しが目立つ。 私の子ども時代の記憶は断片的で、たとえば引っ越しの記憶は、眠っていて目が覚めたら新しい家に居て、頭の傍に新幹線の模型が置いてあった、ただそれだけである。なぜそんな、劇的でも何でもない記憶だけが後年まで長々と残ったのだろう? 小さい頃、母が忙しくていっしょにゲームをしてもらえないと、母からよく「花子さんと遊びなさい」と言われた。花子さんと私は、仲良くいっしょに遊んだものだった。そこに居ない誰かを相手に遊ぶ子どもの話はよくあるが、私の場合、そこに誰かの存在を認識していたわけではない。しかし私が夢中で演じた一人二役が意識的なものだったかと言われると、そうでもないような気がする。花子さんはその場に居たのだろうか?居なかったのだろうか? 内向的な人間が密かに考えるような疑問を、本書では何度か扱っている。こうした空想に親近感をもてる読者にとって、本書のリアリティは高い。論理的整合性は乏しくても、主観的整合性が高ければ、小説は十分成立する。それが最近読んで不満であった「おそろし」(宮部みゆき)との違いである。
私は京極夏彦氏が書く、こてこてのミステリー作品が大好きだ。 この短編集は一読すると薄く内容もないように感じるけれど、ミステリーの仕掛けやキャラクターといったもの外した、京極作品のエッセンスが凝縮されている短編集です。 まるで京極堂シリーズの関口巽がひとりで思い悩んでいるような話もあえば、荒唐無稽なフリークスが登場したりもする。 徐々に盛り上がってきたところでお預けをくらうような、むず痒くなるサジ加減が凄いと思った。 けっして純文学ではないけれど、とても文学的で考えさせられる話ばかり。
最近、京極夏彦さんがミステリーのジャンルから離れつつあるのが、残念なようでもあり、楽しみなようでもあり、複雑な気分です。 この作品は、新しいジャンル開拓というか、何とも不思議な話が並んでいます。怖いような、可笑しいような、嬉しいような、悲しいような、情けないような、まるで白身魚の刺身を噛んでいるような、繊細で複雑な味わい。 人生がやや味気ないものに思えた時、さっと調味料をかけられたような感じ。それで、美味しくなったか、困った味になったか難しいところですが、味わいが増した事は確かです。 新しい京極夏彦さんの活躍に期待しています。
8つの短編が収録されていてそれぞれ趣が違います。 物語を読んでいるというよりは、他人のある日常を覗いているような 感じがします。 「怪談」と言うほど怖さを狙っていないし、かといってたんなる小説 でもない。まさに『幽談』というタイトルがぴったりだと思います。 目の前にある世界が突然壊れていくその怖さの表現は素晴らしいです。 日本語の美しさとその表現の可能性を見せつけられている感じが しました。