とても良い / 口コミ件数 : 38件
価格 : 1,890 円
私自身、事件の舞台である潟Lャッツに16年間勤務していました。事件後、民事再生から転職を余儀なくされました。この本を読むまで、この事件の真相を理解していませんでした。私は著者である細野氏を知っています。加えて細野氏以外の登場人物の多くを知っています。この作品は、満天白日の下に事件と関係者の本質を明らかにしたものでした。この事件の本質は、「外部の詐欺師たちが起こした経済事件」であり、詐欺師らは捕まりもせず、罰せられてもいないこと、さらに、この事件が歪曲された原因が、事実でない証言(偽証)によって立件されているということが述べられていました。この中の登場人物は、全て実名で書かれており、元常務の学歴詐称まで書かれていることに驚かされました。元社員の私としては、ある種、この本が、この世の閻魔大王の判決文のように、各人各様の実態を鮮明に表現していることに背筋を寒くする思いで一気に読みました。細野氏の過去を知るものは、細野氏が善良な人であることを知っています。そのような細野氏をして、悪の烙印を押し、色眼鏡で見ると、主犯にも見えるものだというのは、怠慢な権力のなせる業なのでしょう。問題の本質が、元役員の讒言(ざんげん)にあるという点に、事件の複雑さ、やるせなさを感じました。元常務らが、いかに検察のストーリーとはいえ、自らが助かりたいがために細野氏を犠牲にして自らが特別背任の罪を逃れたという点は、元社員として許せません。真実の犯人である初期の首謀者が逃れることができたのも、本来被害者である村上氏や、事件の解決を図ろうと努力した細野氏が事件の首謀者に仕立てられたのも、原因が元常務の偽証にあったのですから、今更ながらにひどい事件だと思います。この本は、経済犯罪を裁くということの難しさを、ノンフィクションで解説した良書です。加えて、人が人を裁くことの難しさを、この本は教えてくれています。
本書は衝撃的な内容でした。 これまで常識だと思っていた検察捜査の実態は、実態を見ることのできない世間の常識とは大きく掛け離れていて法制度そのものの意義自体を疑うほどのものでした。 検察官の仕事が、被告人を有罪にするためのシナリオを描いて、そのシナリオに適合する証拠だけをピックアップしてその他は無視というのは呆れる他ありません。しかも、その証拠も著者自身による調査によっていとも簡単に崩れ落ちてしまうような事態に陥っています。 このような事態にも関わらず、有価証券報告書虚偽記載の有罪判決を受けています。 裁判の中では当該有価証券報告書に虚偽の記載は認められないことまで立証されているのにも関わらず、矛盾する検察側の証拠やシナリオに勝ちを宣言しています。 今回の著者の体験は第3者では推し測ることの出来ないほどの心理的負担だったと思います。しかし、無実の著者は司法という強大な力に立ち向かい、その闇を暴こうと闘っています。 本書が著者の今後の活躍に少しでも役立つことを願っています。
驚愕の事実が世の中に公開された。キャッツの株価操縦事件にからみ2004年3月に逮捕された公認会計士による特捜検察との闘争の3年半が綴られている。 第1章の東京地検特捜部のつかみから圧巻である。検察の取調べ手法は常軌を逸しており、会計のプロである公認会計士に対して強引に「有価証券報告書虚偽記載」というシナリオを描いて立件を進める捜査姿勢・方針には身の毛がよだつ思いがした。 この本のすごみは、控訴審を闘い終えた時点までのすべての記録が被告の側から正確かつ網羅的に綴られていることにある。第一部は逮捕前後から起訴まで、第二部は一審、第三部は控訴審である。第二部の最初の辺りで、著者のクライアントに対する過剰なサービスに違和感を覚えた読者は少なくないと思う。また、監査人の「独立性」を持ち出すまでもなく、社長の大友に経営者としての誠実性が感じられない以上、監査人という立場で関わるべきではなかったという気がしてならない。第二部は誠意なき人間にだまされた哀しい敏腕会計士の姿が映し出されており、さほど同情の念を抱くことはなかった。 ところが第三部で一転する。検察官の心証をよくするために動こうとする弁護士とも対立し、著者は無実の立証に向け捨て身の攻勢を展開する。顧問弁護士の本多弁護士、村上専務、そして社長の大友に直に会い真実を語ってほしいと迫る。彼らが会ってくれたこと自体ある種奇跡だが、罪を著者に負いかぶせた自責の念と、著者への数々の恩義に対する人間としての良心がそうさせたのだと思う。社長・専務が宣誓供述書のみならず逆転証言まで引き受けたことは、著者の人間力のなせる業であり、そこに大きな救いがある。 一方、検察という恐ろしい国家権力の横暴と、それを止めることができない日本の司法制度には怒りを通り越して呆れるより他にない。
この物語により一つの犯罪が検察側にどのように立件され、それが法廷でどのように裁かれていくのかが理解できました。そして、職業的な専門家がクライアントとどう向き合って業務提供をしていけばよいのか非常に考えさせられました。 検察側が犯罪者と推定する人間を公的にも犯罪者とするために、検察側による犯罪の作成、その犯罪を成り立たせるための自白の強要、嘘の証言の強要などの情報操作が実際に行われているということについては強い憤りを感じます。 また、控訴審において共謀がなかったことについての有力な物的証拠や証言、証明が得られたにも拘らず、それらが取り入れられず、裁判官による主観的な心象のみで控訴が棄却されてしまったようであり、誠に残念で、日本の裁判は検察側が起訴した被告人の罪の量刑を裁くことを前提として行われているのではないかという懸念すら感じました。 最高裁においては、細野先生が監査チームも発見できなかった粉飾を防ぐことに尽力されていたこと、控訴審で認定された「キャッツをわが子のように愛していた」などの幼稚な動機を認定することなく、正当な判決を下してほしいと思います。また粉飾決算とはどのようなことを指すのか、小切手の資産性についての納得のできる解釈、専門家が行った株価算定の有効性を示してほしいと思います。
本書を読むにあたって、読者各位のレビュー、特にネガティブな評価を下しておられる方々のレビューを読んでから読み始めた。著者が偏った一方的主張をしているのなら、それに流されないようにしようと考えたからである。しかし読了した今は、ネガティブ評価をされた方々のコメントはすべて的外れだと確信する。 多少とも会計の専門知識のある者が本書を読んだら唖然とするばかりだ。何故なら、著者がくどく指摘するように、「会計上の犯罪行為」すなわち粉飾決算や有価証券報告書の虚偽記載が、そもそも存在しないことは明々白々だからだ。 ところが司法は犯罪行為が存在したとする。その時用いられる論旨は会計理論のイロハを無視している。会計上の犯罪行為を論じるのに、会計基準のイロハを平然と無視して省みない司法。こんな司法が今日現在の日本で大手を振ってまかり通っていることを知って愕然とした。 本件が最高裁まで行ったことは、むしろ幸いである。何故なら、このような司法の独善、傲慢、怠慢が国家を危うくするまさに”国家的犯罪行為”であることが、憲法に照らして審議される場が与えられたのだから。最高裁が自ら”司法の自爆”に繋がるような判決を下さないことを祈ること切である。