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3. とても良い |
neverflyさん |
書き込み日: 2004年09月05日 |
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論争的な「性」 |
傑作である。本書は非常に学術的な内容を多く含む論文であるが、一般読者にも広く受容された。「ジェンダー」が論争的な概念であるということをここまで徹底的に突き詰めて考えて、一つのまとまりのある論文に完成させた論者はそれまでいなかった。 バトラーはフーコー、デリダ、ラカン、レヴィ=ストロースなどのポスト/構造主義派の論者の言説を批判的に受け継ぎながら、「ジェンダー」の社会的構築という問題について訴える。その中から生まれた「エイジェンシー」「パフォーマティヴィティ」などは、まさしく実存主義と構造主義の間の脱構築を試みる刺激的な概念である。 本書は「女」の基盤的実在を無に解消したという理由で多くのフェミニストから激しい批判に晒されることになる。だが、その極めて理論的な文章の奥底には、彼女の「政治」的な問題意識が常に強く存在する。1990年代に爆発的な勢いを持つことになったクィア理論などは、その政治的問題意識を本書の中に注意深く読み込むことから発展したといってよい。 本書はフェミニズムを研究する者にとっては避けては通れないものである。私たちの認識の基盤を揺るがす書物はそう多くはないが、本書はその数少ないものの一つである。 |
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4. とても良い |
お気に召すままさん |
書き込み日: 2004年09月16日 |
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きわめて刺激的な書 |
「生物学は宿命ではない」、ジェンダーだけでなくセックスも文化的構築物だと著者は言う。基本的にはフーコーの線だ。「まったく別物で相互に関連性のないさまざまな性機能を隠蔽して、人為的に一つに統合するのが・・・セックスの単声性という誤った観念」p173だと言う。 第三章の「結論としての非科学的な補遺」が面白い。外性器の形態、染色体のXXとXY、さらにミクロなDNA域(ある生物学者が発見したと自称した)のどれを基準に取るかによって、「男」か「女」か違ってくるという批判。 訳者の指摘が重要だp292。すなわち、フーコーの『性の歴史』など、「セクシュアリティ」が「性」と翻訳されたので、セックス/ジェンダーの対概念の根底にあるセクシュアリティの意義が見失われた。むしろ、活動や行為としてのセクシュアリティが「セックス」や「ジェンダー」概念を絶えず再生産するのではないか。セクシュアリティを中心にした三元性なのだ。バトラーは「パフォーマティブ」とよく言うが、これが言語的な側面のみを言うのかがよく分らない。 フーコーの「言説主義」(すべては言説によって分節されたものだ)を、言語以外の「パフォーマンス」を考慮に入れて少し穏当化したのか、それともさらに極端な方向へ「言説主義」を推し進めたのか、どちらだろうか。 |
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