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「聴く」ことの力―臨床哲学試論

「聴く」ことの力―臨床哲学試論

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1.  とても良い daepodongさん 書き込み日: 2005年10月08日

鷲田臨床哲学の代表作

 最近の医療人類学(臨床社会学、臨床人類学)のトレンドである、「ナラティヴ」という発想を一歩進めた、鷲田臨床哲学の代表作。
 ナラティヴという考え方は、すでにクラインマン「病いの語り」やグリーンハル「ナラティヴ・ベイスド・メディスン」で呈示されていたが、ここでの著者の主張はある意味極めてシンプルである。従来は「ナラティヴ」を傾聴することによって、病者にとっての「病い」とは何かを知る、ということに力点が置かれてきたが、実は知ることではなく、傾聴すること自体にひとを癒すちからがある、というものだ。
 もちろん、この考え方自体はすでにカウンセリングにおけるロジャース理論と一脈通ずるものがあり、著者の完全な独創というわけではない。しかし、すでに技法としてある意味限界が指摘されているロジャース理論をもっと幅広い局面で生かしてゆくために、ナラティヴという思想と結びつけたことは紛れもない著者の功績であろう。
 また、すでに多くの方が指摘している通り、ファンの多い独特の文体と、砂丘を取り続けた特異な写真家、植田正治の写真が使用されていることも、本書の本としての魅力を高めていることも確かである。
 鷲田清一の著書として、まず第一に指を屈したい代表作である。



2.  とても良い パッション太郎さん 書き込み日: 2007年10月12日

「聴く」ことを哲学的行為として定義することにより、著者は私達一人一人を哲学する主体へと導く

「哲学者は受け止める側のことを考えずにしゃべりすぎてきたのではないか」と指摘する著者は、「聴く」ことを哲学的行為として定義し、聴くことが聴く者の自己を創成する上でも大きな意味を持っていることを指摘することにより、言外に読者一人一人が聴くことを通じ哲学的行為の主体となるよう誘う。「聴く」ことについての哲学的視点からの意味を提示し、私たち一人一人が他者との関係を構築する際のヒントを与えるとともに、哲学的行為を研究者の専有物から万人に開放した画期的な著作。しかし、「<なんの留保もなしに「苦しむひと」がいるというただそれだけの理由で他者のもとにいる>p.245」ホスピタリティという関係を他者と結んでいくようわれわれを促すものは何か。クリスチャンにとっては、ヘンリー・ナウエンが一つの回答を示している。「全く力なき者として、つまり、この世にあって、弱く傷つきやすい自分以外に、何も差し出すものがない者になるように召されている・・それはイエスが来られて神の愛を明らかにされた方法・・(イエスの御名で:あめんどうp.29-30)」。ここで提起されている臨床哲学は部分的に向谷地生良先生の「当事者研究」により実践の場に移されていると思われる(安心して絶望できる人生:日本放送出版協会)



3.  とても良い パッション太郎さん 書き込み日: 2008年01月04日

「聴く」ことを哲学的行為として定義することにより、著者は私達一人一人を哲学する主体へと導く

「哲学者は受け止める側のことを考えずにしゃべりすぎてきたのではないか」と指摘する著者は、「聴く」ことを哲学的行為として定義し、聴く行為が聴く側の自己を創成する上でも大きな意味を持っていることを指摘することにより、言外に読者一人一人が「聴く」という哲学的行為の主体者になるよう誘う。「聴く」行為についての哲学的視点からの意味を提示し、私たち一人一人が他者との関係を構築する際のヒントを与えるとともに、哲学的行為を研究者の専有物から万人に開放した画期的な著作。



4.  とても良い miyamaさん 書き込み日: 2008年12月16日

ホスピタリティとは何かを問いかける

1999年の初版であり、かなり知られている本のようですが、今年初めて読み、大変感銘を受けました。ああ、読み終わりたくない、まだこの世界に浸っていたい・・・と思った本です。

哲学の本に分類される本だとは思うのですが、看護師や介護職のように、ケアを職務とする「感情労働者」にこそ読まれるべき本だと思います。

中盤から、ホスピタリティを旨とする職業、その矛盾した構図についての言及がはじまります。そのキーとなる概念は「歓待」。

他者の苦しみによって自分も傷つく可能性があること。
工場労働者の例から、苦しみを苦しみとして表現する言葉をなくすことがあること。

そのようなことをふまえ、聴くという行為について、筆者は以下のように述べています。

>苦しみの語りは、語りを求めるのではなく、
>語りを待つひとの、受動性の前ではじめて、
>漏れるようにしてこぼれ落ちてくる。
>つぶやきとして、かろうじて。

そう、聴く立場は、あくまで「受動的」でなくてはならないと述べているのです。歓待の場で「客」のなかに何かが生まれる、やっとのことで、言葉が生まれる、その発生プロセス自体に対しても、受け手はあくまで受動的であらねばならぬ、と説いているように感じられます。

そして、ケアの本質とは何かというところに話は進みます。

>ケアがケアでありうるのは、何らかの目的や効果を
>勘定に入れない、意味を介しないで条件なしで
>「ともにいる」こと、つまり「時間をあげる」ことの
>なかであった。

>何も持たない人こそが、他者を即座に留保なく受け入れる。
>同一性の<外>に出る用意があること。

つまり、ケアを提供する側が同一性を奪われてはじめて「ホスピタリティ」は可能になると述べています。

同一性を放棄したところに、ケアの可能性がある・・・

この考えはたいへん、はっとさせられるものがありました。聴く側は、受け入れる側は、いつも「無」でなくてはならない。「客」に呼びかけられることによって、はじめて自分が出来上がってくる。相手との関係の中で受動的に関与させられる身としての、歓待。そして最後に筆者はこう述べます。

>ケアというのは、個人がじぶんの行為を正当化しやすい
>領域だということ。その意味でいちばん入り方の難しい
>危うい領域だということである。だからみんな、そっと
>入り込む。これが義務になったり、アリバイになったり
>したら、元も子もないのである。

>ひとはどこまでも自分の低さにとどまらなければならない。

話を聴くことが仕事であるような職業はたくさんあります。わたしもおそらくそのような職務にあります。自分は何の専門知識を持っているのか、どのような技能で、何を与えられるのか、と、そんなことをひどく気にしていたのですが、それと同じくらい、受身であること、与える前に何をどれほど受け取れる器であるのか、とこの本を読んで考えました。

自分が話を聞くべき相手、やまいを負った人々の運命にも、あるいはこうしてお互いたまたま出会っていることにも、そしてその方の声を自分が聞いているという成り行きに対して、自分はひたすら受身であること、低くあること。そのことが、聴くということ、受け入れるということ、開くということにつながるのかもしれません。臨床の原点として、いつも心に留めておきたいと思いました。

すばらしい良書。



5.  良い ドロップドロップさん 書き込み日: 2005年05月22日

感じる哲学

 はじめて、哲学者の書いた本を読んだ。専門的な言いまわしももちろんあるが、広い意味での臨床にたずさわる人へ向けての問いかけもあるため、サクッと入れる。・・・この本はそういった、日頃”哲学”といったものにわざわざ目を向ける機会がないアナタにこそオススメだ。
 特に臨床にたずさわっている人なら、漠然と考えていた”目の前の患者(他者)”とかかわることの大切さにハッと気づかされるだろう。それも、医療・福祉業界関係者のような切り口とは又違った、人としてのベーシックな視点からの問いは不思議と引き込まれる。本書は『聴くことの力』ということに着目して、いろいろな方法で掘り下げていこうとする探求の書物でもある。痛みや、出会い、迎え入れるということ・・・そえられているモノクロの写真のように、控えめにでも印象的に知り考えるきっかけになるだろう。



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