とても良い / 口コミ件数 : 7件
価格 : 1,050 円
法然と親鸞の違いは、たぶん<知>(「御計」)を どう処理するかの一点にかかっていた。 法然には盛遂できなかったが、親鸞には成遂できた思想が <知>の放棄の仕方において、たしかにあったのである。 悪人こそが救われるべき存在であるという「悪人正機」。 「ただ念仏をとなえるだけでいい」。 吉本は、親鸞とその師である法然との 微妙な違い(知の放棄の仕方)を考察することを通して、 「何かしなければいけない」と思ってしまう 人間の普遍的な心性を浮き彫りにさせる。 善悪や正義の根拠になっている「地盤」自体に目を向けさせる 親鸞の思想は700年以上前のものでも古びていない。
本書は、著者の考え方の根底が割合とストレートに出ている作品だったと記憶している。真理とは逆説的な形で常識的なことを語ることでしかないこと、これが本書のバックボーンにあるように記憶している。意外というか、やっぱりというか、小林秀雄や、かつて著者がやや批判的に述べていた今西錦司などにも、どこか似ている。「日本の思想」とは案外こういう辺りなのか。キリスト教の伝統の中で育まれてきた西欧思想と、同じ次元では考えられないものがある。西欧の哲学が、「水平線」の上の部分を論理で積み上げることに主眼があったとして、日本の思想は、「水平線」の下の部分に主眼があったのか。生きていくことへの自身の問いがそれであって、人に知らしめたり説得することに主眼は無い。分かって貰えないなら仕方が無いし、本人が会得できたかどうか、そこが問題で、人が評価することでもない。そんなことが、本書のバックボーンだし、日本の思想の姿とも思えた。
吉本隆明氏は戦後の批評界をリードしてきた一人です。その政治的な発言には近年批判的な声もありますが、氏の評論は政治的なものばかりではありません。たとえば文学者の戦争責任を扱ったもの、特に「高村光太郎」は決定版だと思います。またキリスト教や仏教への発言、「マチウ書試論」(マタイ伝を扱ったもの)やこちらの親鸞への文章も氏の代表作だと思います。親鸞=歎異抄に興味をもっている人は少なくないと思いますが、何しろ700年も前の仏教の世界ですから、「歎異抄」を読むだけでは理解しづらい面のあることは否定できません。親鸞について書かれた本は膨大な量にのぼるようですが、吉本隆明氏の「最後の親鸞」も優れた一冊だと思います。
前半はわかりやすかったが、後半は難しかった。 きっと、吉本さんは「非僧・非俗」に生きる親鸞に仮託して、自分の思想家としてのあるべき姿を述べていると感じた。 それはきっと「非思想家・非生活者」ではないだろうか、と推測しているのだが、どうだろう。 大学教授といった思想家風にもならず、阪神タイガースを愛しながらも俗に落ちずに猫を愛する吉本さんの生活は、まさにそんな感じかと思ったのだが。
現代に「悪人正機説」がなぜ流行るのだろう、 という問いと、そもそも「悪人正機」とは何か、 という問いを持って、本書に向かいました。 親鸞が生き、活動した時代の貧困と混沌の在り様、 悪行を選ぶか死を選ぶか、という程 ひっ迫した状況にあった多くの民が、 愚僧と自称する親鸞の信心に出会うことによって救われた事実が 本書にはつぶさに記されていて、 私は得心が出来、感銘を覚えました。 著者が試行した、親鸞における〈信〉の解体は、 ある意味では大いに成功を収められた、と言えるでしょう。 しかし、結論として、親鸞を、信心よりも思想の人とみなされたところには、多少の違和感を覚えました。 最後まで〈信〉に迫る親鸞の気迫を、感じたかった、というのは、 私の我儘でしょうか?