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価格 : 777 円
「鬱病」ではなく、「鬱な気分」をテーマにした対談です。 日本は右肩上がりの経済から右肩下がりの経済に向かいつつあるところだが、 人びとの意識も右肩上がり(躁)から右肩下がり(鬱)に向かっている。 (少なくとも日本では)20世紀の後半から21世紀の前半にかけて、社会全体の流れが躁から鬱へと転じてきてた。 躁の時代が戦後から50年続いたことを考えると、鬱の時代も50年は続くのではないか。 鬱の時代を生きるには「鬱の哲学」を持つ必要がある。 歴史は熱狂と閉塞を繰り返してきた。 今は熱狂が冷めて閉塞に向かうところだから、こんな時代だからこそ、鬱の力で人間の内面を豊かにし穏やかに生きていきたい。 この五木寛之の考えかた、持論に沿って対談が進んでいく。 6月15日に発売されたばかりなので対談に登場する話題がすべて「旬」で、それもあってわくわくしながら読んだ。 なかなかのお奨め本です。 新刊で買っても値段が高いとは思わないでしょう。 お買い得ですよ。
この本をタイトル通り、「鬱」を直すための医学書、あるいは近道として適用することは適切ではない。政治・経済の書物ではなく、しかし医学の書でもない、五木・香山、両者の社会心理への切り口はなかなか面白い。 社会そのものの鬱(総理大臣、犯罪心理、作家、医師、哲学、宗教など)を歯に衣着せず斬っている。戦後〜バブル期を「躁の時代」その後を「鬱の時代」と切り分け、様々な問題について語っている、あまり類のない対談本だ。社会風刺でもなく、政治信念にもあまり偏ることなく、宗教だけを述べているわけでもないあたりに、快感を覚える。 さらりと読める大きな文字、控えめなボリュームも魅力的。「自分だけが『気が狂っている』のではない、社会全体が危機に瀕している」というトーンは、作家としてのキャリアが長い五木氏と、独特の精神医学概念を持っている香山氏の対談らしいものである。
現在、うつ病回復期の波で苦しんでいます。うつ病自体は薬もあって良くなってきて、思考能力も回復してきたのですが、逆に躁鬱の波が押し寄せてきてたまりません。 そんなときに、回復期の思考能力でも、少しずつ読めるので、とても納得できました。 認知療法の本を一生懸命読むよりも、こちらの本と「大河の一滴の第1〜3章」、それと「うつからの完全脱出」下園壮太著を読んだほうが、回復期の患者にはいいと思います。 それと、瞑想・座禅もやるといいですね...
米国の診断基準により「精神疾患」の診断が行われるようになり、 心理的・社会的な背景からくる「鬱」(反応性のうつ状態)も、 「うつ病」と診断されるようになった。 心因性の反応も病気とされる危険性が内在する。 この現況を憂い「鬱」と「うつ病」は、 明確に区別されるべきと主張している。 たしかに、昨今“うつ的状態” にも“抗うつ薬”が、 安易に投与されているように感じる。 人間の「精神状態」は時代背景により大いに影響を受ける。 著者らは戦後の高度経済成長期を「躁」の時代と捉え、 その後のバブル経済の崩壊により、 時代は「鬱」に転換したものと見做している。 しかし著者らは、「鬱」はこれまで外に向いていた目が、 自分の精神・魂・内面に向けられるようになるため、 「鬱」は文明の成熟を意味する、とも述べている。 「鬱」は内面にパワーを秘めていることになり、 自然治癒力を内蔵していることになる。 内面(思考)の変換により克服できるわけで、 “考え方” が大切となる。 現代人の心の内面が多面的に分析・解説がなされていて、 このお二人ならではの、他に追従を許さない、 すばらしい内容となっている。
興味深い対談でした。五木氏は、社会全体が躁から鬱に移行して鬱の時代始まっていると説いています。鬱な気分とうつ病とは違うもの、鬱な気分とは本来人間に備わっている感情で、むしろやさしさ、生命力を内に秘めた状態を言っているので、ちょっと鬱ぐらいが普通ではないか、鬱を愁といった日本人が戦後失った感情という五木さんの最近の著作にみられるお考えを元に対話がなされています。香山先生は、精神科のお立場から急増するうつ病患者を扱う立場から、病気としてのうつ病と鬱な気分との境目が難しいことや、グローバルスタンダードでうつ病が定められていること、うつ病は増えている一方で統合失調症は減っていることなど医療現場の様子を回答し、対話が進むことで今の日本社会の様相を映し出していくように感じました。特に第2部「日本社会は劣化したのか」は、病院までもコンビニエンス化し始めている状況が語られ、背筋がゾクっとしました。うつで苦しむ人は大勢おられます。うつ病になって悩むのは、何故うつになったかということでしょう。うつとは何か。とても参考になると思います。