本・雑誌 赤塚不二夫のことを書いたのだ!!の口コミを検索

トップ本・雑誌伝記・人物評伝 全般赤塚不二夫のことを書いたのだ!!
を 商品名

赤塚不二夫のことを書いたのだ!!

赤塚不二夫のことを書いたのだ!!

とても良い / 口コミ件数 : 8


価格 : 1,680 円





クチコミReview一覧
評価の高い順 評価の低い順 書き込み日の新しい順
口コミ件数:8 1 2 次ページ
1.  とても良い はめじさん 書き込み日: 2005年07月04日

何も聞かずに、読むのだ!!!

武居俊樹と言っても誰のことかは知らないが、赤塚不二夫のマンガに出てきた「サンデーの武居記者」と言えば、40代、50代の元少年サンデー読者なら知らない人はいないはずである。細いつりあがった目に、デカい鼻、えらの張った顔のキャラクター。赤塚不二夫が「靴下クサイ!」と言うと「うるさい!バカ塚」と返す傍若無人なふるまいの編集者は読者に強烈な印象を与えたものだった。その武居記者が赤塚不二夫との仕事について本を書いた。その名も、「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」 。これがとてつもなく面白いのですね。赤塚自ら武居に語ったデビューまでの人生。メチャクチャな仕事っぷりと遊びっぷり。「天才バカボン」のマガジンからサンデーへの移籍の内幕。山田一郎への改名騒動。などなど、どのエピソードも当時サイコーに面白かったギャグマンガがいかにして生まれたかの歴史的証言になっている。何よりも赤塚不二夫の創作の秘密(というよりフジオプロの、か)が語られているのが興味深い。赤塚というと、なんとなく一人でイヤミやデカパン、ちび太にニャロメといったキャラクターを生み出し、マンガを描いていたような印象がある。それがまったく違うことに気付かされ驚かされる。当時フジオプロには、長谷邦夫、高井研一郎、北見けんいち、とりいかずよし、古谷三敏、あだち勉ほか、現在も活躍する綺羅星のごとき才能が集まっていた。すべての作品は赤塚本人とアシスタント、そして編集者によるアイデア打合せによって生み出されていたのだ。しかも、ほとんどそのアシスタントから一本立ちしたプロが育たなかった手塚と比べ才能が枯れる前にデビューさせた赤塚は結果的に自分の作家生命を縮めたとも書いてある。深いなあ。100年に一度の天才ギャグマンガ家・赤塚不二夫はアルコール中毒に脳内出血など多くの病気を併発し、現在都内の病院に入院中。意識はないという。ぜひとも、奇跡の回復を祈りたい。



2.  とても良い 竹内正浩さん 書き込み日: 2005年06月11日

我々はバカボンのパパである。抱腹絶倒のマンガ風雲録

武居俊樹。その名を聞いても全く覚えはありません。しかし表紙の似顔絵と「武居記者」という字面を見た瞬間、昭和40年代後半、少年サンデーに夢中になっていた日が甦りました。「レッツラゴン」という、ある意味赤塚マンガの到達点の立役者が、武居記者こと武居俊樹氏。その武居氏が、36年の編集者生活の中でいちばん濃密だった赤塚さんとの日々を綴っています。全編抱腹絶倒話の連続で、赤塚マンガが生まれる秘密から、「山田一郎改名騒動」など、伝説と化したエピソードの裏話が満載されています。そしてなにより驚いたのが文章のうまさ。今年読んだ本の中でも(まだ半年ですが)、ベスト3に入る面白さで、赤塚マンガと赤塚さんの魅力を語ってやまない名著だと思います。書名と武居記者の似顔絵のある半透明カバーをめくった表紙カバーには「アジャパー!!」とキメる赤塚マンガのキャラクターが勢ぞろいしているのも楽しいアイデア。こんこんと眠り続ける赤塚さんが眼を覚まされますよう、一ファンも心より祈っております。



3.  とても良い みずとりさん 書き込み日: 2005年06月02日

かくて伝説は蘇えるのだ

赤塚不二夫マンガのファンにはショッキングな場面(序章)からはじまるこの回想記の著者は、昭和41(1966)年小学館入社以来36年にわたりマンガ編集に携った名編集者である。『おそ松くん』『もーれつア太郎』『天才バカボン』(「少年サンデー」連載時、……というのがあった!)、そして『レッツラゴン』と赤塚不二夫の名をマンガ史上に不動のものとする一連の作品を担当した「武居記者」。『レッツラゴン』での楽屋オチ・ネタの主役(そして、ある意味では「作者」のひとり)ともいうべき人物が、ユーモア・マンガがギャグ・マンガに進化を遂げる疾風怒濤の日々(IN 新宿界隈)を、おそらくは私小説風の脚色、いや「編集」を加えつつ記録した。行間ににじみ出る友情と過ぎた日々への愛惜の思いが胸を打つ。赤塚不二夫伝としてももちろん出色で、既に各種ある「自伝」を補完する史料価値もあり、研究者も必読。



4.  とても良い yastartrekさん 書き込み日: 2005年07月19日

一気に読んでしまいました。

 「レッツラゴン」は、「天才バカボン」や「おそ松くん」ほど有名ではないが、赤塚漫画の最高傑作だと思う。著者は、その「ゴン」が当時連載されていた雑誌の担当編集者であり、赤塚との深い信頼と友情があってこそ、この傑作が生まれたのであろう。

 筆者は、赤塚不二夫の漫画家としての人生のあゆみを実に素直に描写している。本書でも触れられているように、赤塚の人生のテーマは「馬鹿になること」だと思う。それは、実際は、天才で常識人、そして「小心者」の赤塚のギャグ漫画家としての信念であり、哲学なのだろう。その点もふくめ、本書では赤塚の人間性がよく伝わってくる。
 
 そして、現在も一線で活躍する元アシスタント、担当編集者そして出版業界の赤塚に対する愛憎が、当時の回顧を通じて、味わい深く語られている。本書で紹介されている人々は、皆、赤塚の才能と情熱、そして人間性に魅きつけられたのだ。そのあたりのくだりが、ノンフィクションとしても興味深く、一気に読んでしまった。
 
 現在、病床にあるという赤塚の快気を祈るとともに、赤塚への愛情に満ちた本書を著した「武居記者」に、赤塚漫画のファンとして感謝したい。



5.  とても良い sirou55さん 書き込み日: 2006年03月24日

赤塚不二夫に愛惜をこめて

平成14年に脳出血で倒れて以来、眠り続ける赤塚不二夫。彼にあふれる友情と尊敬をこめて綴られた少年サンデー赤塚担当記者の「赤塚伝」である。ギャグマンガは普通数年で書けなくなる。アイデアが枯渇するからだ。それが20年以上も書き続けられたのはひとえにアイデアを提供する面々がいたからであり、それはフジオプロのスタッフであった長谷、古谷らだけでなくサンデー担当の著者も加わっていたからだ。
マガジンの『バカボン』、サンデーの『レッツラゴン』、文春の『ギャグゲリラ』で昭和47年三回目の絶頂期を迎え、アイデアスタッフに北見けんいちや文春担当の平尾氏を加える。しかし昭和49年山田一郎改名事件を契機にサンデーは『レッツラゴン』を打ち切り、著者も赤塚担当を外される。翌50年には『バカボン』も終了、57年には心の支えにしていた『ギャグゲリラ』も終って赤塚の気力はみるみる衰えていく。その後アルコール依存症になってマンガが書けなくなっていくところもしっかり書かれている。天才といわれた人間の末路としては寂しくもあるが、「スッパリ自殺する勇気がないから、酒の力を借りて、緩慢な自殺を図っているように見えた」と書く著者の眼が真実を語っているように思われた。



1 2 次ページ

文学・評論
思想・社会・ノンフィクション
人文・思想
社会・政治
ノンフィクション
歴史・地理
ビジネス・経済・キャリア
投資・金融・会社経営
科学・テクノロジー
医学・薬学
コンピュータ・インターネット
アート・建築・デザイン
実用・スポーツ・ホビー
資格・検定
暮らし・健康・子育て
旅行ガイド
語学・辞事典・年鑑
教育・学参・受験
こども
漫画・アニメ・BL
タレント写真集
ゲーム攻略本
エンターテイメント
新書・文庫
雑誌
楽譜・スコア・音楽書
古書
カレンダー
ポスター