とても良い / 口コミ件数 : 14件
価格 : 903 円
逸身喜一郎「ラテン語のはなし」は、私にとって、言語入門についてのイメージを一新してくれた本である。言語の解説本というと、従来は、殆どが自動的に学習書となってしまっていたが、逸身本はラテン語に関するエッセイ集といった趣で、ラテン語のに親しみが沸き、なんとなく「学習してみようかな」という気にさせられた本である(といいつつ学習してないけど)。本書、小林氏の「ラテン語の世界」も、「ラテン語」自体を言語として学ぶのではなく、「ラテン語について学ぶ」書籍である。逸身氏や小林氏のような、言語への興味を掻き立てる書籍は、どんな言語についても、まずあって欲しいものである。 本書は、ラテン語の歴史、俗ラテン語、中世ラテン語の解説に加えて、もっとも非凡なところは、ラテン語が何故現代にいたるまで学術語などとして生き長らえているか、その「メカニズム」を、文法的観点や、文化的観点から詳述している点にあると言える。そうだったのか!と膝を打つ点た多々あった。ギリシア語からの単語の移入についての解説も、「それを知りたかったんだよ」と、痒いところに手が届く記述ぶり。英語には、同じ内容で、異なった言い回しがあるが、その原因が、ラテン語起源(フランス語経由)・ゲルマン語起源であることや、次々とカタカナなどで外来語を吸収する日本語・英語と、中国語・ラテン語の相違など、色々とトレビアに溢れている。 サンスクリット語についても同様な書籍が出て欲しい強く思いました。
ラテン語に関する、比較的手に取りやすい本は今までにもいくつかある。大西英文「はじめてのラテン語」、逸身喜一郎「ラテン語のはなし―通読できるラテン語文法」などはその代表である。大西氏の本は、ラテン語文法の基礎を説明したもの、逸身氏の本はラテン語文法をネタにしたエッセイ集という感じのものである。この小林氏の本はラテン語文法については最小限しか説明していない。この本はむしろ、ラテン語が果してきた役割の全体像を説明している本だと言える。ラテン語の歴史、ラテン文学とそれが果した役割、ラテン語が現代に至るまでどれほど重要であったかを多くの例を引きながら説明している。「ラテン語は、現代世界において唯一、特権的地位を維持している言語」であると主張する著者の、ラテン語に対する情熱(思い入れ)が伝わってくる好著だ。特にラテン語の持つ「意味と形式の論理的関連性」、「自己増殖能力」は何度も強調され、英語と比較されている。また、単に古典ラテン語の世界を説明するだけでなく、ラテン語がどのように現代語の中で生きているか、中世ラテン語のはなしなど、ラテン語の成立から現代に至る、いや、未来までも俯瞰したものであることも重要な特徴だろう。
ラテン語において、母音の長短が何故最重要であるかを端的に説明しまた、他言語との違いについて、英語、仏語、中国語などとの比較で、わかり易く説明。 母音長短の区別を守っていないので、西脇順三郎のラテン語詩がエレゲイア詩形の韻律で作られていないことも指摘しており、ラテン語に対する、素人はもちろん専門家(?)でも陥りやすい、誤った知識や先入観を取り除いてくれる好著です。 巻末の参考文献は書名の羅列ではなく、一般でも入手可能な本に的を絞り、かつその本をどう読めば良いのかのコメントも付けられているので、本書を読み終えたら、その中からさらに1冊紐解いてみるのも良いでしょう。
ラテン語の特徴、歴史を知識のない人にも興味深く読み進めることができるように書かれている。ヨーロッパではかつてgrammmatica(文法)を習得することが知識人の必須の教養であった。ラテン語は歴史的に実在した1言語ではなく、人工的な規則の集成であるのでラテン語を学ぶことはすなわちその文法を学ぶことを指す、という指摘は興味深かった。日本でラテン語に関する著者の経歴を調べると京都大学出身者であることが多い。著者もその一人だ。
ラテン語は死語だが、様々な言語の母体として、現在でも生き続けているということを理解した。また近代から現代にかけての英語の造語にも不可欠とされてきたそうだ。その秘密はラテン語の持つ「増殖力」(造語力)と「論理性」にあると著者は強調する。具体的には、英語の接頭辞のpro-, pre-, sub-などはラテン語そのままだし、接尾の-ableや-tionもそれぞれラテン語の-abilisや-tioが少し変化しただけのものである。具体的な例を多数織り交ぜながら、ラテン語の歴史を追う切り口は理解しやすく、半端知識のいろいろな誤解も解け(誤解しがちな話しにも折々触れてある)、新書の一冊としては久しぶりに得した気分だった。