とても良い / 口コミ件数 : 13件
価格 : 820 円
(上巻のレビューから続く) そしてこの小説の「恐ろしさ」についてである。「哲学」というものは、自分の内面から湧き出てくる感情(愛情とか憎悪などのあらゆる感情)の源泉について、重ねて自らの内面に「質問する」ことによって織り成されると思う。けれど、質問というのは恐ろしいものだ。予期せぬものが起き上がってくる。この小説では、多くの登場人物が、自律的か否かによらず、この「質問」を自らに突きつけねばならなくなる。恐ろしいものが徐々に起き上がり、それを認識してゆく過程が描かれる。 登場人物たちは、この「質問」と「考察」を自らのモノローグだけでなく、他者との会話を行うことでも深く掘り下げていくが、その際、しばしば「鳥肌のたつ」ように恐ろしい瞬間が読み手を襲う。ものすごく深い絶対触れてはいけない核心のようなものが、ふと垣間見える。・・そして「狂」の存在。この小説では、「狂」とその認識についても語られていると思うが、「狂」とは、自分の中の「一種類の根源的な感情」のみによって行動論理が縛られる状態にあることを指すのではないだろうか。つまり誰でも瞬間には狂たりえるのだ。 「狂」は何も無知によって引き起こされるとは限らない。場合によっては、深く自己の内面について思索し、探求した結果、その領域に至ることもある。そこで善なるものが聴こえるはずだというのはカント的だろうか。しかし、それは外面的には「狂」となるかもしれない。この小説は、そんな恐怖を実地検分する怖さがある。登場人物たちが自己を探求するとき(そのようなシーンはしばしばあるが)自分でも、それまで考えてもみなかったような、根源的な「嫌なもの」が、しっかりと自分の内奥に存在している確かな予感を感じ、そこで、途方にくれて立ち止まるのである。その瞬間の「怖さ」は比類ない。 (下巻のレビューへ続く)
私たち人間の人生には少なくとも一度ぐらいは悩み貫かなければならないときが来る。 アリョーシャの場合、それがゾシマ長老の死、そしてその後の悲惨な事態だった。 そんなとき、人間は今までの信仰、理念を疑ってしまう。しかし、それには何らかの意味があるはずだ。 それを見つけたとき、私たちはその苦悩から解放される。 そのようなことがこの傑作の中巻から感じた。 さらにこの巻は物語の最重要場面でもある下巻の裁判へと繋がっていく。 この中巻が最もアリョーシャ視点で書かれているため、その多感なものの見方が非常に面白かった。 上巻は読むのに時間を要するが、中・下巻はどんどんと頭の中に入れたくなる展開が詰まっている。 上巻でリタイアしてしまった方はそこまで読んでしまったら、あとは楽なのでぜひ再チャレンジしていただきたい。
この物語の中心人物となるカラマーゾフの三兄弟は次のように記すことが可能だ。 長男ドミートリイ情熱と行動の人物 次男イワン知性と思想の人物 三男アリョーシャ愛と優しさの人物
全ての人はこの兄弟のいずれかのタイプに大別することが可能である、故にあらゆる思想はこの物語の中につめられてるといえるだろう。 また彼らは良く喋る。数ページにわたって喋り続けることさえある。この理由は簡単だ。それは彼らが通常語られることのない心の深層部分まで語ってるからだ。 最近の作品は、否、古今東西を問わず全ての作品はこんなことはしていない。登場人物の心理は行動に託したり、行間としてぼかしたり、抽象的な表現で曖昧にしたり、などなど様々な手法がとられているが何のことはない。心の底など表現できないのだ。人は感じたことを全て表現できるほど言葉を持っていないのだから・・・ それをこの巨匠はやってのけている。あらゆることを登場人物達の言葉で巧みに且つ完璧に表現している。これがこの小説の偉大いたる所以であろう。 下巻ではその記された思想の詳細及びこの小説の総括を行いたいと思う。
読み終わりました。私にとっては非常に良書でした。 有名な上巻末の「大審問官」の章よりも、私個人的にはこの中巻の中の、ゾシマ長老の手記からアリョーシャが編纂した章が好きでした。ただ、これは非常にキリスト教の要素が強い章なので、聖書に関する知識や、キリスト教理など、多少の予備知識がないと、理解は難しいかもしれません。どのように好きかと問われると、その説明は難しいのですが。 ただ、この中巻では、自分の心に安心や休息を与えられる反面、吐き気を催すような人間の弱さ、醜さ、愚かさ等を感じずにはいれませんでした。読み終わるまでに、かなりの気力と体力が必要でした。なぜならそれは、私の内側にもこれらカラマーゾフ的な人間の醜さが蔓延っているからに他なりません。 この書の中ではアリョーシャの存在が、全ての登場人物の救いになっているように、読者である私にとっても、救いでした。