とても良い / 口コミ件数 : 19件
価格 : 700 円
宮尾登美子氏の文章が素晴らしい。日頃接することのない格調高い表現の日本語が全編を通じて展開され、こういう日本語を書いてみたいと憧れる。島津本家から分かれたご一門四家の重富家、加治木家、垂水家、今和泉家、その今和泉家の長女に生まれた於一。TVドラマでの描き方とは全く違う優雅な、格式の高い名門武家の姫の生活がよくわかる。五尺三寸の大柄な篤姫、日本外史を愛読する篤姫、一族から「女子に生まれて残念」と言わしめた篤姫、この類希な資質の姫には最初から引き込まれていく。18歳で島津本家の幼女へ。全編を通して、姫のお付の女性が多く登場するが、今和泉家の菊本、島津本家の若年寄広川、老女幾島の存在や、お互いの関係の変化が非常に興味深い。そしてついに大奥総取締滝山を先頭に、老女村岡、幾島、亀岡、花乃井が付従い江戸城へ。いよいよ御台所として大変な大奥の生活が始まった。どう見ても大河ドラマでは本書の描くような格調高さは出ない。やはり本書を読むべきだ。
幕末の激動の時代にあって、薩摩の分家の娘として生まれながら、その英明さを見込まれ、将軍家定の妻となり、姑として皇女和宮を迎えた女性の一生を描いています。 島津斉彬から徳川慶喜を将軍にする密命を帯びて、将軍の妻となった篤姫が、その困難さと少ない情報量の中から、自分が戦略の道具として使われたのではと疑いを持って行きます。 その後、家定が死に家茂の妻として和宮を迎えた時、彼女もまた「攘夷」の推進という使命を持って嫁いできたことを知ります。 この二人のやりとりを通じて、この時代の女性たちが「道具」でしかなかったことを描いて行きます。 しかし、この天璋院はそんな制約の中でも、大奥3000人を統べらい、徳川家の存立を賭けて的確な判断を見せて行きます。「男だったら」という部分が何度か出てきますが、それだけの「人物」だったということでしょう。 この小説は、そうした天璋院の「人間」を描いているのですが、和宮との対比をして一層天璋院という人物を際立たせている見事さがあります。 それと、男に道具としていいように使われる前半から、その能力を如何なく発揮して、徳川家の存続に向けて活躍する中盤を経て、ラストに「余生」として、子どものときの懇ろな家族関係に戻ったような心安らぐ晩年を与えることで、読む側をほっとさせるものがあります。 その点では、非常に読後感の爽やかな作品になっています。
一年前、本作品が、「来年の大河ドラマ原作本」として、店の一番目立つ場所に平積みされていた。そのとき、「どうしようかな」と迷った。先に読んでおくと予習にはなるが、入れ込みすぎると批判ばかりが先に立ったりするものだからだ。迷った末に「読まない」ことに決めた。そして、一年間大河ドラマが終了するまでは読むまいと心に誓った。そして、先日ついに大河ドラマは終了し、ようやく読むことができた。 上巻を読み終えて、まず思ったのは、「一年間我慢した甲斐があった。先に読まずに良かった」と心の底から思った。 ドラマが終わってから日が浅いという理由もあるが、物語がイメージしやすいのだ。特に、篤姫と家定の会話のシーンや、幾島と滝山のシーンはイメージどころか映像として流れているようだった。 大河ドラマを見た人はぜひ見てほしい。先に読んでしまった人も、もう一度読み返してほしい。きっと私と同じ体験をすることだろう。読んでない人は「読んでほしい」ではなく「読まなくてはいけない」だ。きっと、篤姫をもっと好きになり、ドラマを思い出すこともできるだろう。
幕末物は、どうしても当時の政治情勢を強く盛り込んだものになりやすい。 そんな中、時代小説でなく歴史小説として一人の女性の生き方を描いている。 もちろん実際の本人(篤姫)の考えていたことと異なる部分も多大にあるとは思う。 でも、何よりもこの小説は”天璋院篤姫”の真実に近づいているのではないだろうか? 時に小説は、何よりも事実に近づく、そう思わせるものがこの小説にはあると思う。
まず宮尾登美子の絢爛たる筆力に酔いしれる。何しろ言葉遣いや人物の造形が見事だ。したり顔の司馬遼太郎なんぞはとてもかなわない。「大奥」ものと見くびるなかれ、だ。 物語の核心は、皇女和宮との確執にある。現に作者は、和宮の資料に当たっていて「天璋院が嫁の和宮をいじめたとなっているが、そうだろうか」という疑問を抱いたところから出発したということを言っている。 もうひとつの核心は「最後の将軍」慶喜だ。これは、徹底的に嫌なヤツとなっている。何しろ、維新後、徳川本家を守った天璋院は、慶喜の末流とは決して婚姻関係を結ぶなと遺訓を残したというからすごい。司馬の「最後の将軍」では、「あなたはよくやった」と誉めてくれる母のヒザにすがってさめざめ泣く慶喜だが、そんな男の甘さをはり飛ばすような宮尾・天璋院の気概だ。 封建武家社会の価値観、倫理観を固い岩盤のように時代描写の核心にすえ、女は「政略の道具」「生む機械」でかわいそう、「人の上に人を作らず」だぞなんて、ちゃちなアト知恵や薄っぺらな感想は跳ね返してしまう。そんなことは承知の上で、時代に翻弄されながら、健気に剛毅に凛と生きた女性を描ききっている。 「女は天の半分を支えている」とカンラと宣言するような作者の気迫に恐れ入った。 ところでテレビドラマは原作とだいぶイメージが違う。「宮崎あおいの『あんみつ姫』を何とかしろ!」と私の横で叫んでいる女房は、それでもやっぱりTVを楽しそうに見ているけれど。