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「歴史学とは現在に生かしてこそ意味がある」、まさにその通りの書籍 |
他の評では言及されていないが、日本軍が情報を有効活用し善戦した事例があるといっても、それは戦術面に限られていた点に問題があった、と著者は指摘している。第1次大戦で戦争は、「幾つかの戦闘で勝利->有利な講和」という(明治開国当時日本が参考にした当時のドイツがよく利用した)手法から総力戦に移行したが、参戦しなかった日本は、総力戦にあわせた変更ができなかった。この為、マレー・シンガポール作戦や真珠湾という「戦術」では勝利したが、国家レベルで戦略の検討ができなかった為、「真珠湾が成功すれば米国に厭世気分が広がり講和できるだろう」(山本長官)と主観的希望を戦略と履き違えてしまったことにある。衝撃的だったのは、内閣府の総力戦研究所で、1941年夏に軍と若手官僚が行った図上演習で、「開戦から2年程度は戦えるが、4年後には国力を使い果たし、最後にはソ連の日ソ中立条約破棄による満州侵入で日本は敗北する」との結論を出していたことである。この結論を、東条は「机上と実践は違う」とここでも主観的希望を述べて一蹴。
また内閣・陸軍・海軍・公安などがそれぞれ情報機関を持った結果のセクショナリズムも問題ではあるが、それ以上に問題なのは、「コンセンサスを得ること」が優先され、その為に有利な情報が取捨選択されていく、という、現在の日本社会にも蔓延する風土であろう。あなたの職場でも目にしませんか?
昨今の政治の迷走振りを見ていると、重要な政策議題も末節的な反対論議に時間を費やした挙句、葬られるか骨抜きにされていく。多少データを使う政治家も出てきているが、本書にある通り、政策ありきで利用されているだけの趣が強い。既に衆遇政治の段階に入っている様に思えるが、多極化が進み情報が飽和する世界の中、インテリジェンスに基づく判断は国家でも個人でも必須化しつつあると思えます。
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