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価格 : 819 円
原油先物価格の暴騰を報じるとき、メディアは「投機的資金の流入により云々」と眉をひそめはする。しかし生活基盤が投機により脅かされることに対して、誰も異議を唱える言葉を続けようとはしないことに歯がゆい思いをしていた。何故このような理不尽かつ暴力的な状況に対し、我々はNOを突きつけることすらできないのか、と。 著者は「原油先物投機を規制することは無知蒙昧の仕業なのだろうか。必要なことは庶民の普通の常識的な生活感覚を忘れないことである」と明言する。金融の自由化は金融市場に群がるグローバリゼーション教の教徒達にとっては重要なテーゼかもしれないが、ガソリンや食品の値上げを押し付けられるだけの「部外者」が有難がらなければならない理由は何一つない。本書は少なくとも直接金融へのシフトに際して「お金は銀行へ預けるな」などと「庶民を啓蒙する」だけの人種には眉に唾して望む必要があることに気付かせてくれる。 同様に「統計確率論的方法の経済学への適応領域は極めて限定的である」(ヒックス)。先端の金融工学理論が如何に精緻を極めようとも、それ自体、世界人類の福利はもとより、より限定された市場の安定的成長にすら寄与するものではない。著者が「ノーベル経済学賞」の権威の正当性について疑念を呈するのも深くうなずかされるところである。 本書は主にサブプライムローン問題を題材にしながら、一方で戦後から現代までの金融の変遷を位置づけることで、二つの重要な事実を指摘する。一つは「マネタリストの失敗」であり、もう一点は「ドルの失権」である。特に後者について、堂島米会所の崩壊過程と現在の原油先物やサブプライムの状況、そして進行するドル安が如何に酷似しているか、という指摘は重大であり深刻だ。 著者の近著はどれも必読であるが、岩波新書という手に取りやすい形で重要な問題提起がなされたことを喜びたい。
タイトルの「金融権力」を端的に述べた箇所を引用 「金融権力」は一種の「構造的権力」である。目に見える剥き出しの力を行使するものではない。しかし、ただ存在するだけでほとんどの組織がこの構造的権力の意向に沿おうとする。もし権力の意向に逆らえば、その組織は社会的に抹消されてしまうからだ。(本書P.39) 新たな生産の現場に資金を融通する本来の「金融」はもはや各種証券化手法の発達に代表される様なリスクの転売に成り下がったと説き、そのシステム自体が内包する権力性に対して警鈴を鳴らしている。 資本主義を公正なものとして成り立たせている一つの土台に現代の会計制度がある。株をやった事がある方や、財務諸表が読める方ならわかると思いますが、企業は財務諸表上の各種指標(純益、売上高、営業利益、ROEやROA等)を最大化する事が価値を生み出し、社会に利益をもたらしていると社会的にコンセンサスが得られている。だから利益の上げられない株式会社は存続そのものに意味が無いとされる。 しかしこの会計指標を土台に更なる発展を遂げたのが現在の金融システムであって、デリバティブの価格算定やファンダメンタル分析による適正株価算出、更には一般の人にとっては容易に理解し難い各種指標や計算式等の金融工学というものが社会の上層部のこの業界の人々にとっては認識されている。 モノを作ったりサービスを提供したりといった企業の社会的な意義等を計る為の指標である会計制度上の一つ上のレイヤーに上記の様な金融理論というものがあって、それらはおそらく理論的には整合性をもっていて、それら指標を最大化させる事が社会的な利益になるという認識を金融業界の上層部は持っているのだろう。ヘッジファンドやプライベートエクイティ等は会計制度上にあるこのレイヤーの理論を駆使して、自信を持ってその企業の歴史的、文化的、社会的な文脈を無視した敵対的買収や交渉に臨んでくるのだとも思う。 各種メディアで日々騒がれるサブプライムは実態経済を振り回しているし、原油高騰等一体どんだけ金融システムに振り回されるのかと困惑するばかりだ。学生の希望する就職先No1に外資投資銀行等が挙げられるのはある種仕方が無い。システム的にそこにいるのが一番利殖に打って付けで、得する様になっているからだ。 大雑把な叙述でお恥ずかしいですが、現在の金融システムの構造を精緻にメスを入れる様な論客が出る事を期待したいと思ってます。本書は現在の金融構造の問題点を認識し、歴史を踏まえ将来の展望を見渡すのに良いかと。
サブ・プライム・ローンの摩訶不思議な論理の解明に始まって、NPO銀行とかグラミン銀行という新しい金融システムの可能性にまで及ぶ、一貫して庶民の立場に立った金融論である。 いわゆる「証券化」の発端は、1971年のニクソンの「ドルと金の交換停止」に始まるという。その1年後、あのミルトン・フリードマン肝いりのシカゴ先物市場が誕生し、やがて金融工学の出番となる。「ブラック・ショールズ・モデル」の開発者がノーベル賞を獲るが、LTCMの破綻、ヘッジ・ファンドの横行、その歴史の可笑しさ、悲しさ、等々と著者の筆は決してヒステリックにならず、落ち着いて論を進める。その間、常に庶民の観方に立って。 NHKで放映され単行本化された「マネー革命」を好意的に取り上げているのが興味深い。
本書はサブプライム・ローン問題の解説を契機として、1970年代から始まった金融市場の変質を、関わった主要人物の経歴を織り交ぜながら解説した1冊。経済学の主要な理論の数々は強い前提の下に構築されるにもかかわらず、それが流通するうちにそんな前提は忘れられがちで、理論を構築した人間の痕跡も忘れられていくということが著者の筆致で強く思い知らされる。高度に抽象的で、実際は多くの人々を抑圧していく理論、及びそれに基づいて構築される制度に対抗するためには、関与した人間の経歴を辿ることによって理論が意図するところを明らかにしていく方法が有効だということも、この本の、読者へ向けた一つの大きなメッセージになっていると思われる。今支配的な理論や制度も、唯一の、必然的なものではなく、一定の信念や判断や選択の末に築かれたということ、それらは誰が、誰のために構築したのか、といったことが判ってくる。著者自身のバイアスもある程度かかっているが、それを意識した上で読み、読者自身が判断すればいいのだと思う。自分は、経済学に対して抱いていた懐疑がある程度解消されました。読んで良かった1冊。 なお、ここでの議論は2008年9月以来の経済危機についての理解を大幅に助けてくれる一冊でもある。
今年を振り返れば、サブプライム危機からはじまり、リーマンショックをきっかけとして金融危機そしていまや世界同時不況という様相が深刻化しつつある中で一年を終えようとしている。 本書は、この世界同時不況の根源でもある「金融」に焦点を当てて、なぜ世界経済がこのような状況に陥ってしまったのかを、歴史的に解き明かしている。金融危機をめぐって、実に様々な書物が出版されているが、それらの中でも本書は最も優れた一冊である。 著者の考えは、明確である。戦後日本の驚異的な発展に貢献してきた日本の銀行システムは、アメリカからの構造改革という名の圧力により解体され、根拠のない自己資本比率規制がかけられ、日本を支えていた間接金融は弱体化してしまった。 その一方で進められてきた直接金融の弊害が、短期的利益追求にいっそうの拍車がかかり、債権の証券化とリスクの他者への転嫁が行き着いた先が、サブプライム危機である。 この流れをさかのぼれば、ミルトン・フリードマンを代表とするシカゴ学派による市場の自由化がある。 この市場こそが自由という考え方に対して、世界初の先物市場「堂島米会所」の事例は、今の原油や穀物価格の急騰と下落の流れと完全に相似形をなしていることに、歴史に学ばない人類の悲しさを感じてしまう。 戦後の日本の主食であった米は、食管会計制度によって高騰が避けられ、多くの日本人を飢えから救ってきた。この時に、デリバティブのような市場放任制度を持ってきたら、庶民の生活は、確実に破壊されていただろうと断言している。 いまこそ、新たな「金融」を考える時である。