 |
「商品」としての"水" と「資源」としての"水"、このギャップに光を当てた好著 |
同著者の「狂牛病」では酷評してしまったが、この本は素直に評価できる本である。 しばしば、地球は「水の惑星」と呼ばれる。しかし人間にとって「資源」となる「水」は実は、ほとんどないということはよく指摘されることである。人口増加が著しい昨今、この「資源」争奪戦が歴史を刻むかもしれないという予感らしいものが出てきてさえいる。 一方で先進国では、最近では水資源に恵まれている日本においてさえも、水は「嗜好品」として市場に出回るようになってきた。面白いことに、そこでの水は「資源」としての側面をほとんど現さない。代わりに出てくるのは「消費」に即した「商品」という側面である。この本の中に記載されているアメリカでのボトル詰め水、実は水道水をボトルにつめただけのもの、これはまさにそのことを象徴しているといえる。 気候にも経済的にも恵まれている日本は、幸いにして「水」と言えば後者をさす。しかし、だからと言って2つの「水」の間のギャップを無視していて良い訳はない。同様にギャップが存在している石油などのエネルギー資源が20世紀後半の紛争の背景にあることが多かった。解決へのアプローチを怠ることはエネルギー資源と同じ轍を「水」でも踏むことになりかねない。それを避けるためにも、「水」を我々自身の問題として考えることは今まで以上に重要になったと言えるであろう。 しかし一方では残念ながら「水」をめぐる問題は、なかなかクローズアップされてこなかったことも事実である。取り上げられたとしても、たとえば水資源供給、環境問題などのひとつの側面から取り上げられることが多く、全体観の把握は困難であった。問題が単純でないことも、このような状況を生む背景になったのであろう。 そういった中で本書は、その「水」の問題に果敢に取り組んだ好著である。そして、多くの側面を持つ「水」を、多角的な視点から丁寧に追跡し、問題を冷静に指摘することにより、消化不良に陥ることなく「水」の周辺を巡る問題を、分かり易く提示することに成功していると言う点において良著といえる。 パリの街中でパンを寄越せと主張する民衆に対して、旧来のルールを元に「パンがなければケーキを食べればよいのに」と言って何の疑問を持たなかったマリーアントワネット。その間に横たわったギャップが現在では滑稽話となった。「水」の間に存在するギャップについて何も疑問を持たずに放置したなら、後世それは愚かさの象徴とされてしまうだろう。それを回避するために、我々は何をなすべきなのか?と言うことを考える際に、この本は大きなヒントを与えてくれる。 |
 |