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5. とても良い |
熊にゃんさん |
書き込み日: 2008年11月03日 |
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感慨深い |
2審判決記念カキコ。
およそ10年前、高校生の頃に読んだ本で詳細は忘れていたが
裁判記録を読んでまざまざと思い出してきた。
戦後何十年もたって、関係者や証人が死に掛けたところを
見計らってこの裁判が起こされたという所に、
奇しくも大江が「沖縄ノート」で38年前に書いた予言が現実化して
いるような気がして、不気味でありつつも面白い気が、しなくもない。
>かれは沖縄に,それも渡嘉敷島に乗りこんで,一九四五年の事実を,かれの記憶の意図的改変そのままに逆転することを夢想する。その難関を突破してはじめて,かれの永年の企ては莞結するのである。かれにむかって,いやあれはおまえの主張するような生やさしいものではなかった。それは具体的に追いつめられた親が生木を折りとって自分の幼児を殴り殺すことであったのだ。おまえたち本土からの武装した守傭隊は血を流すかわりに容易に投降し,そして戦争責任の追及の手が二十七度線からさかのぼって届いてはゆかぬ場所へと帰って行き,善良な市民となったのだ,という声は,すでに沖縄でもおこり得ないのではないかとかれが夢想する。しかもそこまで幻想が進むとき,かれは二十五年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会に,廿い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと,渡嘉敷島で実際におこったことを具体的に記憶する者にとっては,およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想をまでもいだきえたであろう。このようなエゴサントリクな希求につらぬかれた幻想にはとめどがない。おりがきたら,かれはそのような時を待ちうけ,そしていまこそ,そのおりがきたとみなしたのだ。(本文より)
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